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東館ツアー

お手持ちのスマートフォンでNational Gallery of Artの学芸員による解説を聞きながら、さまざまな作品をご鑑賞いただけます。ご自身のペースそしてお好きな順序で、多くの作品の解説をお楽しみください。

作品の解説をお聞きになるには、下の枠に解説地点の番号を入力し、実行(go)を選択、解説が表示されたら再生(play)ボタンを押してください。音声ガイドをお聞きになる際は、周りの方の邪魔にならないようヘッドフォンをお使いください。

  • Stop 4

    Georges Braque, Still Life: Le Jour, 1929
    Still Life: Le Jour

    ジョルジュ・ブラックは、1910年パブロ・ピカソとともにキュビズムという新たな様式を確立したアーティストとして有名です。この作品は、キュビズムの要素を静物画やほかの主題に取り入れた、ブラックの後年の典型的な作品です。この作品では、テーブルの木目や背景の壁紙のデザイン、また新聞の文字などが模様と質感の相互作用を引き立てています。

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    NARRATOR:

    人間の目は私たちを取り巻く世界をどのように見るのでしょうか?それはジョルジュ・ブラック、そしてパブロ・ピカソが20世紀初頭にキュビズムで追求した関心の一つでした。それ以前の三次元空間の錯覚を描写する試みから離れ、キュビズムでは、対象を平面的そして抽象的に、また複数の視点から描いたのです。

    近現代美術部部長のハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    それはここに描かれているテーブルにはっきりと表われています。テーブルの下の部分は引き出しのほんの少し上の視点からまっすぐ見ているように描かれており、中は見えません。ところがテーブルの上は、上から見た視点で描かれているかのようです。

    この作品を見ると必ず目にとまるのがナイフです。それはまるでテーブルの端で宙に浮いているようです。 ナイフは作品のその他の部分を切り取るのに[笑い]使われたように見え、描かれた多くの要素は薄切りにされています。ここではアーティストが、遊び心たっぷりに自分の制作工程に触れているのが見て取れます。キュビズムの特徴である、現実を取り入れそれを薄切りにし、ひっくりかえし、元に戻してといった、それまで見たことのなかった手法がとられているのです。

    NARRATOR:

    作品がコラージュのようだと感じているなら、それは偶然ではありません。ブラックとピカソは、パピエ・コレと呼ばれる、紙をカンヴァスに貼り付ける手法を試みていました。

    HARRY COOPER:

    しかし彼らはすぐにパピエ・コレから、コラージュのような油絵に移行しました。作品の中には、まるで私たちを本物の木の肌や、切った果物を見ているように錯覚させるほど丹念に描かれたものがあります。 そこにも遊びがあり、この幾層もの現実の表現の遊びはキュビズムの重要な要素の一つなのです。

  • Stop 5

    Amedeo Modigliani, Head of a Woman, c.1911-1912
    Head of a Woman

    この作品には、アメデオ・モディリアーニの多くの絵画作品で見られる細面の顔立ちと、アーモンド形の目を特徴とする、彼特有の人物表現が見られます。モディリアーニは1920年に35歳で結核で死亡する前の1909年から1914まで、彫刻作品を中心に制作を行っていました。

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    NARRATOR:

    20世紀前半の西洋のアーティストの多くは、新しい表現手法や抽象技法の探求において、西洋の古典美術や西洋以外の美術を参考にしました。パリを拠点に活動していたアメデオ・モディリアーニなどのアーティスト達にとって、世界中のさまざまな民俗資料を擁した民俗資料館のトロカデロ博物館はアイディアの源の一つでした。

    フランス絵画のアソシエイト・キュレーター、キンバリー・A・ジョーンズです。

    KIM JONES:

    この作品で描かれている人物は、アフリカ彫刻の影響をたくさん示していますが、細面の顔立ちやカーブを描いた顔の曲線、長く幾何学的な鼻などには古代ギリシャ彫刻の影響が見られます。かなり抽象化されていると同時に、説得力のある力強さを感じさせ、同じような生命力と力強さが備わったトーテムポールの像を思い起こさせます。

    NARRATOR:

    モディリアーニはこの作品を作るにあたり、パリの地下鉄の建設現場で捨てられていた石灰岩の塊を用いました。

    近代美術部部長のハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    眉毛から鼻、そして口までつながっている表現は、すべて縦の線と分割を強調しています。私たちは鋭く彫られたこの彫像から、はっきりとした陰影を感じることができます。

    KIM JONES:

    彫刻を見て絵画『モナ・リザ』を想像した方は、あながち間違っていないかもしれません。この作品からは同様の人知を越えた穏やかさが感じられます。この作品は内なる生命を暗示させながらも、その表現は控えめです。私たちは作品に引き込まれ、女性が何を考え感じているのかに思いを巡らせるのです。

    NARRATOR:

    この展示室には、モディリアーニの絵画が一面に展示されています。そこにはこの彫刻との共通点を見ることができます。

  • Stop 6

    George Bellows, New York, 1911
    New York

    1911年に完成したこの作品《ニューヨーク》は、ベローズがニューヨークの現代生活の本質をとらえた意欲的な大型作品です。彼は、誰にも分かるような特定の場所を描くつもりはありませんでした。その代わりに、いくつもの繁華街を組み合わせた想像上の場所と、ごったがえす群衆の様相を描き、ニューヨークの熱気を効果的に伝えようとしたのです。

    Read full audio transcript

    NARRATOR:

    時は1911年、場所はニューヨーク。そこは現代の最先端を行く場所でした。ジョージ・ベローズはあえてその街をこの活気ある作品の題材に選んだのです。

    CHARLES BROCK:

    私がこの作品で好きなのは、とても野心的なところです。作品には何にでも挑戦する若きアーティストの姿が表れています。

    NARRATOR:

    チャールズ・ブルックです。

    CHARLES BROCK:

    ニューヨークの街のすべてを一つのカンヴァスに収めるという、大胆な主題に挑んでいるのです。

    NARRATOR:

    ベローズはこの作品で、マディソン街と23番街にあるビジネス街の喧騒を想像して描いています。

    CHARLES BROCK:

    奥には高架鉄道とニューヨークの摩天楼、前には馬車と自動車、そして歩行者で混雑する道の様子が描かれています。当時の鑑賞者にとって、この作品はその主題と同じくらい混乱を招くものでした。

    NARRATOR:

    作品の中のどこを見てよいかさえよく分かりません。左奥には路面電車に乗客が乗り込む様子や、店の看板、そして名もなき通行人達が通りを埋め尽くしています。グレーと緑で覆われた画面の中に、ベローズは細部にごくわずかの赤を取り入れています。批評家達は、作品は混乱を極め、理解に苦しむと考えました。

    CHARLES BROCK:

    しかし彼らは一様に作品からあふれ出す生命力、そしてベローズが描こうとした新しいニューヨークの姿に魅了されたのです。批評家の一人は、作品を批判した後このように語っています。「この作品は、遠い将来、きっとこの時代に生きた者による気取らないニューヨークの姿を描いた、最高の作品と評されることだろう」

  • Stop 7

    Edward Hopper, Ground Swell, 1939
    Ground Swell

    《大波のうねり》に描かれた青い海、太陽の光を浴びた人物たち、そして大きな波のうねりは作品に穏やかな印象を与えています。しかし細部をよく見ると、最初の印象に疑問を感じるようになります。ブイは、さえぎるもののない海の風景の中で小型のキャットボートの前に立ちはだかっています。それはまだ見ぬ差し迫った危険に対して警鐘を鳴らすものであり、その存在が場面に不吉な雰囲気を与えています。そして、しばしば嵐の前兆とされる青い空に渦を巻く雲が不安な印象を強めています。

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    SARAH CASH:

    非常にシンプルな構図のこの作品には、空と海、ヨット、人物、そしてベルブイが描かれています。

    NARRATOR:

    ですが、作品を初めに目にした時の、静かで穏やかで美しいという印象とは異なる情景が描かれている可能性があります。アメリカ・イギリス絵画のアソシエイト・キュレーター、セーラ・キャッシュです。

    SARAH CASH:

    例えば、ヨットに乗っている人たちは一見みな別々で、お互いに関心がないように見えます。彼らの視線はベルブイに集中しており、ベルブイが何らかの危険をもたらすかもしれない[04:48]と、ひどく心配していることがうかがえます。青い空に浮かぶ羽根のような雲は、私たちの目にはただ美しく穏やで楽しげに映りますが、実際はそのような雲は嵐や天候の変化の予兆であることもしばしばです。

    NARRATOR:

    波も、「大波のうねり」という意味のGround Swell(グラウンド・スウェル)という作品のタイトルのごとくうねっています。何か隠れた意味があるのでしょうか?ホッパーがこの作品を発表した1939年、ハリケーンがニューイングランド地方を襲い、甚大な被害をもたらし数百人の犠牲者を出しました。しかしそれだけではありません。

    SARAH CASH:

    ホッパーは、この作品を1939年の8月から9月15日の間に描き上げました。ニュースで第2次世界大戦の勃発が報道されていた時期とちょうど重なります。このことから、この作品でベルブイは二重の意味を持っていると大いに考えられます。天候の悪化を考えさせられる一方、第二次世界大戦の到来をそれとなく象徴しているとも考えられるでしょう。

  • Stop 9

    Aaron Douglas, The Judgment Day, 1939
    The Judgment Day

    1927年、ハーレム・ルネサンスの中心人物であるジェームズ・ウェルドン・ジョンソンが彼の代表的な作品『神のトロンボーン:散文による7つの黒人の説教』を出版しました。それぞれの説教の詩には、その頃ハーレムに移り住んだ若きアフリカ系アメリカ人のアーティストのエーロン・ダグラスの挿絵が添えられました。その数年後、ダグラスはその挿絵をベースに大きな油彩作品を制作したのです。《審判の日》は、シリーズ8作品のうちの最後の作品です。中央には、大天使ガブリエルが陸と海にまたがって立っています。ガブリエルはトランペットを鳴らし、陸の国民を召喚するのです。

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    NARRATOR:

    この作品の中心には、羽根のある大天使ガブリエルが陸と海に力強くまたがって立っています。生者と死者を審判に召喚するため神から使わされたガブリエルは、一方の手に天国への鍵を持ち、もう一方の手にトランペットを持っています。トランペットの音色とともに、光線と稲妻に照らされた人物たちが立ち上がり呼び出しに応えています。

    NANCY ANDERSON:

    アーロン・ダグラスは、アフリカ美術とヨーロッパのモダニズムに着目し、それらの要素を融合して、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人の経験を様式化した画像を作り上げようとしたのです。それは、平面的な形状や、ガブリエルの目や波の表現、同心円、上空からの光の矢など、アール・デコや、キュビズムに見られる断片化の手法に顕著に表れています。

    NARRATOR:

    この作品はアフリカ系アメリカ人に伝わる説教の情熱と芸術性を称えたジェームズ・ウェルドン・ジョンソンの詩集、『神のトロンボーン: 散文による7つの黒人の説教』の挿絵に基づいています。この作品により、ダグラスは、聖書の物語を一新し、『神のトロンボーン』で称えられた説教のようにカリスマ性を持ったイメージを作り上げたのです。

    アメリカ・イギリス絵画部の部長兼キュレーター、ナンシー・アンダーソンです。

    NANCY ANDERSON:

    ジェームズ・ウェルドン・ジョンソンは、1920年代に始まり世界大恐慌まで続いたハーレム・ルネサンスと呼ばれる文化活動の研究者でありキーパーソンでした。それは第一次世界大戦後に起こった、アフリカ系アメリカ人の新しい文化的イメージおよびコミュニティの確立のための運動でした。

    NARRATOR:

    ハーレム・ルネサンスのその他の重要人物の中には、ダグラスにアーティストとしての天命を示唆した作家であり活動家のW.E.B デュボアがいます。彼は、ダグラスの作品を大胆で革新的、そして「野性的な美しさがある」と評しました。

  • Stop 11

    Pablo Picasso, Family of Saltimbanques, 1905
    Family of Saltimbanques

    《サルタンバンクの家族》は、ピカソの初期の作品の中で最も重要な作品です。ピカソは、これらのさすらいの曲芸師や踊り子、道化師などのサルタンバンクたちに、世間から見捨てられ社会の底辺に生きるアーティストたちの悲哀を重ね合わせ、自らをある種の同類と感じていたのです。スペイン生まれのピカソは、パリに移り住んだ最初の数年間、彼ら同様に貧しい生活を送りながら、世間から認められることを目指していました。一番左に描かれた菱形模様の衣装を着た陰気な道化師は、若い頃のピカソの浅黒く真剣な顔をしています。

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    NARRATOR:

    1904年後半から1906年のはじめにかけて、パブロ・ピカソは同じ主題でいくつも作品を制作しました。その主題とは各地を巡業するサーカスの曲芸師などの大道芸人でした。近代絵画部部長のハリー・クーパーは、ピカソは主題と非常に共感し、自分の姿を作品に描いたと解説します。

    HARRY COOPER:

    左側に立っている背の高い若者が彼の自画像です。前衛芸術家の多くが、発展するパリの郊外をさすらっていた、社会の底辺に生きる人々と自分たちを重ね合わせていました。このため、作品の中の風景も彼らの居場所のなさを反映しています。

    NARRATOR:

    作品のタイトルからこの曲芸師たちは家族だと思われますが、彼らはまったく気持ちが離れ離れのように見えます。

    HARRY COOPER:

    落ちくぼんだ目で別の方角を見ている者がいるだけでなく、皆ほとんど無表情です。しかし、彼らの体をかろうじてつなげているしぐさに、作品の物語を読み取ることができます。ここに描かれている手や足は、昔ながらの物語の伝え方より重要とさえ言えるかもしれません。

    NARRATOR:

    ピカソは人物を追加したり構図を変えたりと、何度か作品を描き直し、ところによって画風が大きく異なっています。

    HARRY COOPER:

    この作品では、背景、特に空の描写が最も表現豊かで、また最も抽象的な部分になっています。最上層の絵具が非常に薄く塗られているかと思うと、明らかに修正されたと思われる、厚く塗られている部分もあります。作品には一貫性や一体感がなく、それはこの作品を非常に興味深く急進的なものにしている一つの要素となっています。

  • Stop 13

    Henri Matisse, Open Window, Collioure, 1905
    Open Window, Collioure

    アンリ・マティスの 《コリウールの開かれた窓》 は、現代の私たちの目には穏やかで叙情的に移るかもしれません。しかし、作品の発表当時、その太い筆致や鮮烈な色使いは暴力的ととらえられました。小さいながら激しさを感じさせる、初期のモダニズムを象徴するこの作品は、フォービズムの最も重要な作品の一つとして知られています。フォービズムのアーティストたちは、自然の姿の忠実な再現から離れて、自由な色使いや質感を追求しました。《コリウールの開かれた窓》 は、マティス作品における新たな作風の契機となった作品でした。

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    HARRY COOPER:

    マティスは色について「私が緑をカンヴァスにおいたとき、それは芝生ではなく、青をおいたとき、それは空ではない」と語ったことがあります。

    NARRATOR:

    この作品を見るとその意味が理解できると思います。ここではピンクの波やオレンジのマスト、またさまざまな色をした空が描かれています。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    この絵画は小さな作品ながら、大きな影響を及ぼしました。私たちとってもポスターやカレンダーなどでおなじみの作品です。しかし当時は、印象派の作品に慣れ親しんだ人々の目にも、作品はかなり進歩的でした。

    中央のボートは、白っぽいピンク、青、サーモン色、深緑の4本の太い絵具の筆致のみで描かれています。この作品にはマティスが当時考えた以上の発明があるのです。

    NARRATOR:

    この作品はマティスの画家としてのキャリアの転機となりました。1905年の サロン・ドートンヌ展で発表されたこの作品は、一人の批評家と同時代の数人のアーティスト達に、「野獣」を意味するフォーブと一蹴され、「原色の乱痴気騒ぎ」と揶揄されました。しかしその名称はそのまま定着し、マティスはフランスの20世紀最初の前衛運動となった、緩く結束したこのグループのリーダーとなったのです。

    HARRY COOPER:

    中央部分は美しくダイナミックですが、その周辺の壁や窓などの枠組みは印象派の特徴的な筆致から脱却し、所々細かい筆遣いで軽やかに、そしてリズミカルに仕上げています。さらにところどころ広い色を対比させており、ここに将来のマティス作品の原点が表れています。

  • Stop 14

    Ernst Ludwig Kirchner, Two Girls under an Umbrella, 1910
    Two Girls under an Umbrella

    この作品は多くの作品を残したエルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーの初期の作品です。彼は1905年にドレスデンで結成された、ドイツ語で「橋」を意味するブリュッケと呼ばれるドイツ表現主義グループの結成メンバーでした。この作品でキルヒナーは、従来のアトリエの不自然な空間ではなく、自然を背景に二人の裸婦を描いています。作品は、キルヒナーの大胆で、往々にして荒々しい形や鮮やかな色使いの典型を示しています。

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    HARRY COOPER:

    2人の女性が散歩をしています … でもいったい何をしているのでしょう? [笑い声]なぜ裸なのでしょうか?

    NARRATOR:

    エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーによるこの2人の女性の肖像画は、ドイツ表現主義として知られる典型的な様式を示しています。キルヒナーはこの20世紀初めに登場した芸術運動の共同創始者でした。彼らは勢いのある筆遣いと明るい色調、そしてデフォルメされた人物などでカンヴァスを埋め尽くしました。キルヒナーと彼の仲間達が活動を開始したのは、工業化や戦争の脅威、社会悪など、世の中が急速に変化を遂げていた時代でした。彼らはドレスデンやベルリンなどの都市に魅了されていましたが、同時に原始文化や自然への回帰にも傾倒していました。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーが、この新しい手法についてのキルヒナー自身のコメントを紹介します。

    HARRY COOPER:

    「未来を担っている私たちは、旧態依然とした古い体制に対抗し、自分たちのために生活と運動の自由を創出したいのです。創造力を刺激するものを率直に、そして心から伝えようとする人はすべて、われわれとともにあります」とキルヒナーは語っています。この中で鍵となるのが「自由」という言葉です。この作品では、キルヒナーがルールや伝統を打ち壊そうとしていたことが分かります。一見控えめな題材のうわべをはぎ、文字通り服をはいだ裸の人物を、強烈な色調や質感の風景の中に描いたのです。

    NARRATOR:

    作品をよく見ると、右側の女性が古い習慣の名残である帽子をかぶっているのが分かります。

    HARRY COOPER:

    つまりある意味、彼らは時代の間に取り残されているのです。自分たちの行動を縛るたくさんの規範から開放された人生がどういうものかという、一種のヨーロッパの幻想とも言えるでしょう。

  • Stop 15

    Wassily Kandinsky, Improvisation 31 (Sea Battle), 1913
    Improvisation 31 (Sea Battle)

    ワシリーー・カンディンスキによるこの作品は、現実の世界といくらか関連性はあるものの、雰囲気を伝えるため細部は歪曲され、調整されています。輪郭のない淡い色調の形は一見完全に抽象的に見えますが、描かれているモチーフの多くは見分けることができます。《即興 No.31(海戦)》の中心に描かれているのは、戦っている2隻の帆船で、高いマストは細長い黒い線で表されています。カンディンスキの《即興》 シリーズの多くで見られるこの題材は、恐らくヨハネの黙示録の終末論的なイメージから着想を得ていると思われます。

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    HARRY COOPER:

    この作品は美術の歴史上、最初に制作された「抽象的」またはほぼ抽象的と言われる作品の一つです。それはこのような作品を最初に発表する危険を冒した芸術家の一人であるカンディンスキーの偉大な功績です。

    NARRATOR:

    ロシア人のアーティストのワリシー・カンディンスキーは、大型シリーズの作品の一環としてこの作品を制作しました。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーが、作品のタイトルについて解説します。

    HARRY COOPER:

    作品には2つのタイトルがあります。副題の≪海戦≫に、作品に描かれている内容を理解するヒントがあります。作品では海軍の船やマスト、大砲、爆発など、海事の場面が描かれています。しかし主題の≪即興31≫の方がここでは重要です。それはここで展開している抽象化を示しているからです。

    NARRATOR:

    カンディンスキーは聖書に登場する形象からロシアの民間伝承まで、さまざまなものから着想を得ました。音楽もまた彼の発想の源であり、ここでも如実に表現されています。

    HARRY COOPER:

    音楽を聴くことは、非常に直接的な体験です。私たちと音楽の間には何も存在しません。いうならば、私たちの頭にそのまま入ってきます。芸術のルールを破壊し何世紀にも亘って継承されてきた古い技法や慣習的な写実表現からの開放を目指したカンディンスキー達も、音楽に着想を得てほとんど目をつむって作品を描こうと促されたかもしれません。作品はさまざまな色や、印を織り交ぜて描かれています。渦巻や曲がりくねった曲線から、まだら模様や 何かを探るような線まで、カンヴァスにはどんな音楽が描かれているのでしょうか?[笑い]この作品が問いかけているのはこれかもしれません。私には交響曲のようにさえ思えます。

  • Stop 16

    Alberto Giacometti, No More Play, 1931-1932
    No More Play

    シュルレアリスムの偉大な彫刻家の一人であるアルベルト・ジャコメッティは、活動初期にこの作品のようなゲームや遊びのテーマを頻繁に題材にしていました。ジャコメッティがこの作品で使用した形は、駒を動かして遊ぶボードゲームに似ていますが、そのゲームがどんなものなのかははっきりしません。曖昧な空間と、作品名の《ノー・モア・プレイ》で表現されている知るよしのない「ゲーム」のルールは、作品をまるで夢の中に出てくるようなものに感じさせます。    

    Read full audio transcript

    HARRY COOPER:

    この作品はジャコメッティの傑作の一つです。この作品が変わっている点は、平置きで上から見るようになっているということです。通常の彫刻作品とは一線を画しており、どちらかというとゲームボードのようです。

    NARRATOR:

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    他にふさわしいタイトルがあったとすれば≪遊ぼう≫でしょう。作品はいくつかの動く要素で構成されているからです。しかし作品のタイトルは≪遊びは終わり≫。そこには暗さが感じられます。ここには穴や蓋、棺があります。ボードから人物が小さな記念碑のように飛び出しています。最もはっきりと暗示されているのは、死や、何かの終わり、遊びの終わりでしょう。

    NARRATOR:

    すぐ隣の、ジャコメッティのもう一つの作品≪見えないもの:空(くう)を持つ手≫をご覧ください。そこには同じような不安や拘束が感じられます… この作品については、当時亡くなったばかりの父親の死から、エジブト美術の埋葬文化まで、さまざまな関連性が指摘されています。

    HARRY COOPER:

    私たちはこのボードの上でどのようなやりとりが繰り広げられているのか、またまっすぐに立ち、空を持つこの人物が何をしているかは、はっきりと分かりません。宇宙人が全く異なる世界から私たちに何かを伝えようとしているかのようです。謎だらけのこれらの彫刻作品を解釈するのに、これは案外ふさわしい考え方かもしれません。

  • Stop 17

    Marcel Duchamp, Fresh Widow, original 1920, fabricated 1964
    Fresh Widow

    マルセル・デュシャンは、絵画や彫刻への従来のアプローチを特徴づけていた前提に挑んだアーティストです。アメリカの安くて手軽な複製品の考えに魅了されていたデュシャンは、自然物や人工物を彼が「レディ・メイド」と呼んだ自分の作品に取り入れはじめました。その名前は彼がニューヨークに住んでいたときに、ファッション業界からとったものです。彼はこれらのありふれた品々のほとんどを、自分の署名を加えること以外何ら変更することなく展覧会で展示しようとしてアート界に衝撃を与えました。フランス窓を意味する「French Window(フレンチ・ウインドウ)」からnを省いた言葉遊びとなっているこの作品のタイトルは、パリのアパートによくある両開きの窓と、第一次世界大戦で最近未亡人となった女性達の両方にかけています。このミニチュアの窓はデュシャン自身が制作したものではなく、アメリカ人の大工に作らせたものです。

    Read full audio transcript

    NARRATOR:

    ここでご覧いただいているのは一般的にフランス窓と呼ばれているものです。しかし左下をよく見ると、「なりたての未亡人」という意味の作品のタイトル≪Fresh Widow≫と書かれています。これは綴り間違いではありません!

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーが、マルセル・デュシャンの言葉遊びについて解説します。

    HARRY COOPER:

    この作品は、第一次大戦直後の1920年に発表されました。それによりデュシャンが戦争未亡人に言及していることは疑いの余地がありません。窓の部分が黒いのは、戦争中に明かりが漏れないように窓を黒い布で覆ったことや、または未亡人の喪服の色を表しているのかもしれません。

    NARRATOR:

    デュシャンは既製品を使用したアートで有名です。また、この作品のような、小さくて奇妙な複製を好んで作成しました。アートはつくるものではなく体験するものという信念を持っていた、マルセル・デュシャンの言葉です。

    ARCHIVAL, MARCEL DUCHAMP:

    結局、創造的な活動というのはアーティストだけが行うものではない。鑑賞者が作品の内なる資質を解釈、理解することで作品を外の世界とつなげ、その創造的活動に貢献するのだ。

    NARRATOR:

    デュシャンはこの作品に署名することでも体験をつくり出しています。ローズ・セラヴィとは誰でしょうか?

    HARRY COOPER:

    それは彼の変名です。フランス語でローズ・セラヴィは「それが人生」という意味の「セ・ラ・ヴィ」と発音します。また「ローズ」は「エロス」とも聞こえます。つまり、彼がつけた別名は「愛欲は人生そのもの」ととることもできます。さらにそれは、帽子をかぶり化粧をしエレガントな姿で写真におさまることの多かった、彼の女性の分身でもありました。つまり、彼は[笑い]美術の定義やアーティストとしてのアイデンティティだけでなく、性別についても遊びを楽しんでいたのです。

    NARRATOR:

    近くにある≪トランクの中の箱≫という作品をご覧ください。デュシャンはこの作品を持ち運びできる小型のデュシャン美術館として作成しました。≪なりたての未亡人≫の作品が見えますか?

  • Stop 18

    Constantin Brâncuși, Bird in Space, 1927
    Bird in Space

    この彫刻作品は抽象作品のような印象を与えますが、 コンスタンティン・ブランクーシは彼の作品は主題の内面の本質を明らかにしたものだと主張しています。 彼の作品はアフリカの彫刻とルーマニアの民芸彫刻の伝統をベースにし、さらに台座を作品の一部として取り入れています。《空間の鳥》のシリーズに長年取り組んでいたブランクーシは、シリーズをいずれ彼の最高の功績となる集大成ととらえていました。他の彫刻家とは異なり、ブランクーシは大きな工房をもたず、自ら石を削り、真ちゅうを磨いて、一人で作品を制作しました。

    Read full audio transcript

    NARRATOR:

    コンスタンティン・ブランクーシによるこの作品、そして近くに展示されている他の彫刻作品は、マイアストラと呼ばれるルーマニアの民話に登場する、魔力を持つ神秘の鳥を表したものです。しかしこの鳥たちには羽や爪、くちばしなどはありません。 ≪空間の鳥≫は飛行自体、もしくはその幻想の描写なのです。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    ブロンズ像は、台座から緩やかな曲線を描いて立ち上がり、一度細くなってまた膨らみ、もう一度細くなって鋭く面取りされた先端へとつながっています。でも作品はここで終わりではなく、さらに続いていき、先がさらに細くなって行くかのようです。

    NARRATOR:

    20年以上に亘り、ブランクーシは同じ主題でたくさんの作品を制作しました。その中には大理石製のものや、ここに展示されている磨き抜かれたブロンズ製のものなどがあります。輝きを放つブロンズの表面に映る自分の姿と部屋の様子を見ていると、まるで作品が消えてしまったかのように思えてきます。

    ブランクーシにとって、台座も作品のもう一つ重要な要素でした。

    HARRY COOPER:

    この像の終点はどこでしょうか?作品に二つの台座を設けたのは、ブランクーシが意図的に行った非常に重要なことです。それまで絵画の額と同じように単に実用的なものと考えられていた作品の台座を、彫刻との境界線を曖昧にすることで作品の一部に昇華したのです。

  • Stop 19

    Tableau No. IV; Lozenge Composition with Red, Gray, Blue, Yellow, and Black

    ピエト・モンドリアンは自身の抽象画を通して、普遍的な調和は自然に宿るという精神的な概念を表現しようとしました。バランスのとれた左右非対称を生み出すために慎重に計算された構図の水平と垂直の要素は、自然界で働く動的平衡と匹敵する反作用の力を表しました。モンドリアンは菱形の構図は切り取ることを意味すると言っていましたが、この作品でもそれが明確に感じられます。描かれた形状はカンヴァスの端で切断され、完全ではありません。それは絵画が物理的な境界を越えてカンヴァスの外へ広がっていることを暗示させます。

    Read full audio transcript

    HARRY COOPER:

    これはモンドリアンです。[笑い]「モンドリアンの作品」ではなく、単に「モンドリアン」と呼ぶのは、彼が独自の様式を確立したアーティストの一人だからです。彼はオランダ語で「スタイル」を意味する「デ・ステイル」という芸術運動のメンバーでしたが、彼らは抽象芸術の制作においてとても厳格なルールを設定していました。

    NARRATOR:

    ルールとは何でしょうか?それはただ水平と垂直の線または面だけを表し、左右対称であってはならず、原色、そして白、黒、グレーのみを使用するというものです。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    通常、色の部分はお互いから離れるように画面の端に施されています。まるで私たちに色の相互作用を感じてほしくなく、色を純粋にとどめておきたいかのようです。彼らの美意識において純粋であることは実に大きな重要性を占めていました。モンドリアンに対して言える最も端的で重要なことは、彼が作品のすべての要素にそれぞれ独自の命や自主性、そして可能性を与えたいと思っていたことです。

    NARRATOR:

    この作品では、カンヴァスを45度回転させながら、構造はきちんと水平と垂直を保っています。彼はそれを自然の中の基本的な構造と見なしていました。

    HARRY COOPER:

    作品では、見るもののすべてがいずれカンヴァスの端で途切れてしまうという、難題に直面します。彼にとって安定していて心地のよい構造物が、カンヴァスの端で脅かされてしまうのです。この結果、私たちは非常に大きなダイナミズムを感じます。モンドリアンは動的な平衡状態について語るのが好きでした。

    一見シンプルに見えますが、構造やその複雑さは私たちの想像を超えています。作品を10分くらいかけて見た後、後ろを向いて自分で描いてみてください。基礎的な構造だけも描いてみると容易ではないことが分かるでしょう。

  • Stop 20

    Façades d'immeubles (Building Façades)

    第二次世界大戦後、絵画は原点に戻って一から作り直さなければならないと感じていたジャン・デュビュッフェは、素人の芸術、特に子供や独学で学んだアーティスト達の作品に発想のヒントを求めました。それを彼は「アール・ブリュット」 、粗野または生の芸術と名付け、収集しました。この《建物のファサード》でデュビュッフェは彼自身の「アール・ブリュット」 を披露しています。表面の黒い絵具をひっかいて色のついた下地の部分を表す、学校の授業で習うような技法をつかい、デュビュッフェは子供の目を通してみているようなパリの通りの風景を表現しています。しかしながら、慎重に配置された碁盤目状の構図や力強く施された表面の絵具などから、彼が現代的な技法を意識していたことがうかがえます。

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    NARRATOR:

    この作品を制作するため、ジャン・デュビュッフェは誰もが幼稚園の時にやったような初歩的な手法を用いました。彼はカンヴァスに絵具を何層か施した後、黒の絵の具で覆い、それを上から削って図柄を描いたのです。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーが、その技法をご説明します。

    HARRY COOPER:

    彼はアカデミーで認められていたあらゆる技法から一歩退いて、まるで何も知らない素人として一から取り組むことに興味を持っていました。第二次世界大戦後、彼自身、そして多くのヨーロッパの愛国者達が感じていたのは、大戦前の習慣をそのまま続けることはできないと言うことでした。彼らは何かもっと基本的で直接的なことを試さなければならないと感じていました。政治でも芸術でも、古いやり方はもともと空しいものだったと感じていました。その結果が今ご覧になっている非常にストレートかつ素朴で圧倒的な作品であり、それが、彼が意図していた効果でした。

    NARRATOR:

    デュビュッフェは子供や精神障がい者など、素人がつくり出した芸術に魅了され、それを「アール・ブリュット」、生の芸術と呼んでいました。この作品で彼は、子供が描くような、3次元空間を無視した平坦で散漫な風景を描いています。しかし作品は見かけほど簡単なものではありません。彼がいかに色彩やウィットに富んだ細かい描写で賑やかな活気を与えているかご覧になってください。

    HARRY COOPER:

    私たちはまず作品の色に引き込まれます。それは私たちを歓迎し、楽しませ、遊び心をかき立てるものです。ですがその一方で、手すりやレンガ造りの壁などに見られる細かい描写では、画面を切りつけたり絵具を荒く塗りつけたりしています。しかし引っ掻いた跡も、繊細で魅力的に思える部分もあります。

    NARRATOR:

    飽くなき革新者だったデュビュッフェは、多岐に亘る素材や技法を試しました。 この作品の落書きのような技法や制作における基本的な姿勢は、20世紀後半のジャン=ミシェル・バスキアらの世代のアーティストに影響を与えました。

  • Stop 22

    Jackson Pollock, Number 1, 1950 (Lavender Mist), 1950
    Number 1, 1950 (Lavender Mist)

    ジャクソン・ポロックの壁画サイズのドリップ・ペインティングは、1948年の発表当時、賛否両論を巻き起こしました。この作品で、彼は納屋を改装したアトリエの床を覆い尽くすほど大きいカンヴァスを床に置き、塗装ペンキや油絵具、エナメル、アルミニウムなどを使って、カンヴァスの周りを歩きながら筆や柄から絵具を垂らしたり、こぼしたり、浴びせかけて制作しました。ポロックはこれが制作過程において彼が作品の中に入り込み、媒介者の役割を果たす方法だと語っています。カンヴァスの左上の隅と上部には、彼の手形の「署名」が残されています。

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    HARRY COOPER:

    ポロックは、「床に立っているととても安心する。作品をより身近に感じ、自分を作品の一部として感じることができる。この方法だと歩き回ったり、あらゆる方向から作業をすることができ、文字通り作品の中に入ることができるからだ」と語っています。

    NARRATOR:

    ジャクソン・ポロックは、ロング・アイランドの東の外れにあった納屋を改装したアトリエで、カンヴァスを床に広げるところからこの大きな作品を作りまじめました。

    近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    彼は筆を使いましたが、それは筆の部分ではなく柄の部分です。カンヴァスの周りをまるで踊っているかのように、そして時にはカンヴァスに入りこんで、絵具を柄を伝わらせて缶からこぼし、垂らし、したたらせ、時折オーバーなしぐさで浴びせかけて作品を制作しました。その大きなしぐさのいくつかは、カンヴァスを大きく縦横する黒い絵具の部分に表われています。すべてが粉々になったような感じがあります。

    NARRATOR:

    誰でも、子供でさえこのような作品を作ることができるという、偶発的な感じがする一方、ポロックは「これは偶然ではなく、私は絵具の流れをコントロールできる」と言いきっています。ポロックの画法は当初大衆に衝撃を与えましたが、間もなく一流批評家からの賛辞を勝ち取りました。そのうちの一人は彼の制作スタイルを「アクション・ペインティング」と呼び、カンヴァスを舞台あるいはある種の競技場と呼びました。別の批評家のクレメント・グリーンバーグは、複雑に交差する絵具に紫のオーラを見て、この作品を≪ラベンダー・ミスト≫と名付けました。

    HARRY COOPER:

    私たちはさまざまな方法でこの絵に接することが可能です。アーティストの動きやしぐさを想像して体で接する方法や、また床に置いて制作されたことを忘れて視覚的に接する方法もあります。結局、私たちは他の作品と同じように美術館の壁にかけられた作品を見ているのですから。これは、まるで終わりがないかのように感じられ、いつまでも飽きることなく眺めていられる作品です。

  • Stop 25

    Roy Lichtenstein, Look Mickey, 1961
    Look Mickey

    この作品《おい、ミッキー》は、ロイ・リヒテンシュタインが大衆文化のある場面と様式を取り入れて作成した最初の作品と思われます。そのベースとなったのが1960年に発行された絵本『ドナルド・ダック:ロスト・アンド・ファウンド』[ET1] です。リヒテンシュタインは、絵本の背景の人物を省き、視点を90度変え、色調を黄色と青の帯にまとめ、キャラクターの表情を簡略化するなどして微妙に変化させ、もっと統一された画像を作り上げました。様式としては、太くて黒い輪郭線や原色を使用した色使い、ドナルドの目とミッキーの顔に見られるインクのドットなど、印刷物の様式を模倣しています。このドットは、当時大衆向けの漫画や雑誌で使用されていたベンディ印刷で使われるものでした。

     

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    HARRY COOPER:

    タイトルは≪おい、ミッキー≫です。[笑い]驚いてしまいますね。衝撃的な作品です。

    NARRATOR:

    ロイ・リキテンシュタインがこの作品を1961年に発表した当時、彼はアメリカで最悪のアーティストじゃないかと言う人もいました。作品の土台になっているのは二人のディズニーのキャラクターが登場する子供の絵本です。ポップカルチャーを代表するキャラクターを、あからさまに「芸術」に取り入れたアーティストは、それまでいませんでした。

    HARRY COOPER:

    まるで印刷物のような、安物の複製品のようです。

    NARRATOR:

    リキテンシュタインはこの作品で彼独特の手法を開発しています。ドナルドの目やミッキーの顔の小さい点にお気づきになるでしょう。近代絵画部部長兼キュレーターのハリー・クーパーです。

    HARRY COOPER:

    それは、消費者向けの安物のカラー印刷で見られた網点(あみてん)を再現したものです。新聞や漫画の絵をよく見ると、色と白黒のトーンが点でできているのが分かります。

    NARRATOR:

    なぜそれが重要だったのか、ロイ・リキテンシュタイン自身が語ります。

    ARCHIVAL, ROY LICHTENSTEIN:

    私はものの複製と普及を可能にする、印刷の工程を観察することに興味を持っているのです。網点の使用は印刷の代表的な方法の一つです。そして点を拡大するという簡単な方法によって、それをもっとはっきり知ってもらうことができるのです。

    HARRY COOPER:

    彼が犬用の堅い毛のブラシを絵具の缶に浸し、それでドットを描いたことは有名です。その後彼はよりよい方法を編み出しましたが、この作品が彼のドットの原点なのです。この作品はいろんな意味で、リキテンシュタインが築いた、今日ポップアートとして知られるアートの基礎となっているのです。

  • Stop 27

    Eva Hesse, Test Piece for "Contingent", 1969
    Test Piece for "Contingent"

    エヴァ・ヘスが作ろうとしたのは、彼女が考える伝統的な美しい彫刻作品ではありませんでした。彼女は金属や石など伝統的な彫刻の素材を退け、代わりに樹脂や石膏、ラテックスなど、もっと柔軟性のある素材を好んで使用しました。この作品で使用されているのもラテックスです。この作品は《不慮の出来事》のためのいくつかの習作の一つで、その8つの似通った垂れ幕からなる完成作品は、オーストラリア国立美術館に展示されています。ヘスは作品を「絵画でもなく、彫刻でもない…これはつり下げられた絵画なのです」と述べています。

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    NARRATOR:

    エヴァ・ヘスは、工業用素材を実験的に現代彫刻に応用しました。この作品は、8枚のガーゼ素材でできた、≪不慮の出来事≫と言うタイトルのシリーズのために、試験的に作ったものです。ガーゼをラテックスで塗装した後にファイバーグラスに浸したものですが、最後の工程で修復がきかないほどもろくなってしまい、当館はそれにどう対処するかを検討しなければなりませんでした。

    近代美術のアソシエイト・キュレーター、モリー・ドノヴァンです。

    MOLLY DONOVAN:

    ヘスはこの作品で、絵画と彫刻の従来の定義や垣根を取り払い、二つが合体し融合したものを作り出しています。

    MOLLY DONOVAN:

    彼女の作品は、物理的に不安定なものです。劣化する素材で作られた芸術作品には、理念的また学芸的に、どう対処するのがベストでしょうか?学芸員や修復師のチームが出した結論は、そのままにしておくということでした。作品に自然に寿命を全うさせるのです。アーティストがすでに他界しており、作り直してもらうことも、修復してもらうこともできないこの作品ではなおさらです。

    NARRATOR:

    ユダヤ系ドイツ人として生まれたアメリカ人の画家ヘスは、脳腫瘍により34歳の若さでこの世を去りました。

    MOLLY DONOVAN:

    私にとって《不慮の出来事のテストピース》は 、長く記憶に残る美しい作品であり、不幸にも若くして亡くなったヘスの人生を考えるとなおさらそう思えるのです。

  • Stop 29

    Barnett Newman, First Station, 1958
    First Station

    抽象表現主義運動の中心人物のひとりだったバーネット・ニューマンは、絵画や彫刻、執筆において自身の考えを確立した知識人でした。1940年代の半ば、ニューマンは「ジップ」と呼ばれる特徴的な垂直の要素を用いて単色のカンヴァスを区切る、最初の一連の作品を制作しました。この作品は、後に彼が最終作となる15作目の《存在せよ、II》を含め、あわせて《十字架の道行き》と命名した、14点の作品からなるシリーズの最初の作品です。《十字架の道行き》は、第二次世界大戦やホロコーストを受けてアーティストが直面していた、「われわれは何を描いたらよいのだろう?」という疑問、彼が「モラルの危機」と呼んだ疑問に答えようとした、彼のキャリアで最も野心的な作品です。

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    NARRATOR:

    バーネット・ニューマンは、このシリーズのタイトルを、イエス・キリストの地上での最後の数日間を追悼する14場面からなる儀式である、「十字架の道行き」からとりました。

    MOLLY DONOVAN:

    … そして副題の「Lema Sabachthani」(ラマ・サバクターニ)は、キリストの十字架の上からの叫び声、「なぜあなたは私を見捨てたのですか?」を意味するアラム語です。

    NARRATOR:

    しかし彼がこのタイトルとアイデアを借用したのには別の理由がありました。

    近代美術のアソシエイト・キュレーター、モリー・ドノヴァンです。

    MOLLY DONOVAN:

    ユダヤ人であるニューマンは、決してキリスト教の画像を描いているのではありません。彼は、単にタイトルを通して人類が共有する共感を思い起こさせているのです。それは人類よりもっと壮大な、世界共通の配慮です。

    NARRATOR:

    「十字架の道行き」と似ているのは、それぞれの場面は鑑賞しながら、全体として、そして別々の瞬間として体験すべきだという点です。《第一留》(だいいちりゅう)へ進み、ニューマンの技法をよく見てみましょう。

    MOLLY DONOVAN:

    作品の右側には、ニューマンの作品の特徴である、いわゆる「ジップ」が見えます。これは生のカンヴァスに垂直に貼ったテープの上をブラシでぼかして描いたものです。満足のいく状態になったらテープをはがすと、空白部分が表れます。ニューマンはこの模様について、1966年に「私は「ジップ」が作品を分断するとは思いません。実際、まったく逆の効果があると思っています」と語っています。 ここでニューマンが私たちに伝えているのは、「ジップ」はカンヴァスの要素を分離させるのではなく、それらをつなぎ合わせているということです。

    NARRATOR:

    では、静かに展示室の雰囲気を感じとりながら、作品自体をじっくりご鑑賞ください。

  • Stop 33

    Helen Frankenthaler, Mountains and Sea, 1952
    Mountains and Sea

    《山と海》は、ヘレン・フランケンサーラーのステイニングの技法の好例となっています。ステイニングとは、下地を塗らずにカンヴァスにそのまま薄めた絵具をたらす技法です。この手法によって、画面に広がる透明の色の部分は空間に浮かんでいるように見え、カンヴァスの布目によって画像の平たんさが強調されています。彼女の色と形の配置は自然の風景を感じさせることが多く、個々の作品はそれぞれ独自の視覚的空間と雰囲気を醸し出しています

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    NARRATOR:

    ヘレン・フランケンサーラーは1952年にカナダ大西洋岸のノバ・スコシア州ケープ・ブレトン島を訪れました。その有名な海岸線の景色に触発され、帰宅後この作品を制作しました。

    近代美術のモリー・ドノヴァンです。

    MOLLY DONOVAN:

    ここでご覧いただいているのはもちろん抽象画ですが、風景を彷彿とさせる抽象画です。青色の帯状の部分に近い淡いグリーンの境界線は、海と接するごつごつとした海岸線と思われます。また画面全体に見られる青のしぶきは、荒れた大西洋が陸に向かって打ち付けている様を表しているように見えます。

    NARRATOR:

    当時わずか23才だったフランケンサーラーは、ジャクソン・ポロックなどのアーティストや彼らの実験的な抽象画法に傾倒していました。しかし彼女は独自の制作スタイルを確立し、 床に置いた生のカンヴァスにテレピン油で伸ばした油絵具をコーヒーの缶から注いで作品を描きました。明るい色の絵具は完全にカンヴァスに浸透して広がっています。

    フランケンサーラーはカンヴァスについて、「…肝心なのは、どこを余白にしてどこを埋め、どこはもう線や色はいらないかを決めることでした。つまり、カンヴァスの生地そのものが絵の一部なのです」と語っています。

    MOLLY DONOVAN:

    作品が完成して間もなく、モーリス・ルイスとケネス・ノーランの二人の若手アーティストがフランケンサーラーのアトリエを訪ねています。モーリス・ルイスは後年、この作品を「ポロックと実現可能なものの架け橋」と呼んだことはよく知られています。フランケンサーラーは、床にカンヴァスをおいて抽象画を描いたポロックの前例を土台に、彼女の染色の技法によってその画法に新たな視点を与えたということです。