Audio Stop 210
Augustus Saint-Gaudens
The Shaw 54th Regiment Memorial, 1900
West Building, Main Floor — Gallery 66
文字起こし
オーガスタス・セント・ゴーデンス、第54連隊の記念碑、1900年
ナレーター:
オーガスタス・セント・ゴーデンスが手掛けたこの記念碑は、極めて勇敢な、時代を切り開いた男たちを称えています。第54マサチューセッツ歩兵連隊は、南北戦争において北軍が組織した最初のアフリカ系アメリカ人連隊の一つでした。その中のひとりが、ウィリアム・H・カーニー軍曹でした。
カール・クルーズ:
私はカール・クルーズです。ウィリアム・H・カーニー軍曹は私の曾祖父の叔父にあたります。
ナレーター:
マサチューセッツ州ニューベッドフォード出身の22歳の船乗りだったカーニー軍曹は、1863年2月に第54連隊に入隊しました。
カール・クルーズ:
それは、奴隷にされていた有色人種の人間が自由を獲得するためにすべきだと、彼が考えたことでした。
ナレーター:
記念碑には、ロバート・グールド・ショー大佐が馬に乗り、歩兵たちが行進する姿が表されています。1863年7月18日の夜、第54連隊はサウスカロライナ州チャールストン近くのワーグナー砦に突撃しました。激しい戦いが行われ、第54連隊は大きな損害を被りました。戦いのさなか、味方の旗手は負傷し、旗を掲げられなくなりました。カーニーはただちにアメリカの旗を高く掲げました。その後、当時目撃したことを、彼は次のように述べています。
カール・クルーズ:
20分もたたないうちに、私は自分が一人だけで、城壁の上にいるのに気づきました。周りには死者や負傷者が折り重なって倒れていたのです。
ナレーター:
カーニー軍曹自身も重傷を負ったものの、安全な場所に退避することができました。彼は戦友たちに言いました。
カール・クルーズ:
「自分の義務を果たしただけだ。我らの旗は、地につくことはなかった」この戦いがきっかけで、さらに多くの黒人が連邦軍に加わることになり、やがてその最終的な勝利へとつながったのです。また、アブラハム・リンカーン大統領に強い印象を与えたことは間違いありません。
ナレーター:
第54連隊は戦闘には敗れたものの、アフリカ系アメリカ人兵士の勇敢さは広く称えられ、多くの者の手本になりました。
カール・クルーズ:
第54連隊の兵士たちのことを考えると、「ブラック・ライブズ・マター」の本当の意味も理解できるように思います。この国の歴史のために、この国の自由のために戦うこと。それは、私たちが現在も続けていることです。カーニーと第54連隊のほかの兵士たちは、この理想のために生き、戦い、そして命を落としました。だから、彼らは私たちが手本とすべき存在なのです。そしてこれらの物語を語り継ぐことによって、いつの日かこの理想が実現することを願っています。